ご利用者様のページ

喜楽をご利用になられている皆様や、そのご家族様からの投稿をご紹介します。

デイサービスをご利用されている方からのお便り

I様の寄稿紹介

  • 喜楽をご利用頂いている方のご家族様が寄稿くださいました。
  • 今後も定期的に寄稿頂けるとのことで、随時ご紹介してまいります。
  • I様は新聞等にも寄稿されており、浅野も拝見しましたが、とても読みやすく共感できる文章で、ぜひ皆様もご覧ください。
  • 「介護を担う若い力」                     H29.9.19  T・I

     難病を患う妻がケアセンター喜楽の介護を受けてもう四年になる。その行届いた介護サービスには感謝している。
  •  しかしこんな優れた事業所でも、馴れ親しんだベテランが時々退職して居なくなる。夫々に事情はあるだろうが利用者には痛い。
  •  この喜楽に昨年二人の青年が介護職として入社した。学校を出たばかりの明るく健康な人達だから、大歓迎で見守っている。今後の
  • 高齢化社会の介護ニーズの高まりを考えると、こういう若い男性が入ってくる事は望ましい。
  •  介護の仕事は女性ばかりではならない。この様な若くて元気な男性が加わる事はまさに百人力であろう。しかし病気持ちの高齢者ば
  • かりを扱う職場に若い二人が馴染んでくれるだろうか、と不安に思うことも否めない。
  •  其の後二人共次第に中心的な仕事に携わるようになりつつある事が嬉しい。将来の介護事業の中核として育つよう期待している。
  •  
  •  
  • 「フラワーセラピー」                     H29.5.26  T・I

     私達夫婦は花を育てるのが大好きだ。妻が元気だった頃は、季節の花々の種を播いて、花壇やプランターに定植して、庭中に花があ
  • ふれていた。その中の好い物を選んで居間の窓外に設けたフラワースタンドに飾った。
  •  居間の掘ごたつの私の席の正面に咲き乱れる季節の花々が眺められる、五月の今は鉢物の君子蘭、クレマチス、キリン草が見頃だ。
  • 間もなく私の大好きな紫陽花の季節になる。
  •  花の名前に詳しい妻に教えられてブルーバーゴ、アクロスランマ、ユリオプスデージーなどという難しい名前の花々にも親しんだ。
  •  お天気の良い土曜日の午下り、薬が利いて動きが良くなった妻が、庭に出て花の種を播きたいとせがんだ。歩行のおぼつかない妻を
  • 抱え上げて庭に下ろし、種播き用のプランターを用意した。言われる通り買ってあった二袋の花の種を播く妻の表情は活き活きとして
  • いる。花に親しむことは何よりの癒しである。
  •  

「新年随想」                     H29.1.10  T・I

  •  新しい年が明けた。妻の在宅介護を始めてから四回目のお正月を迎えた。私の老々介護もよく続いていると思う。しかし何と言って
  • も行き届いた介護を担ってくれる介護事業所のお世話があってのことである。
  •  今年も元旦の朝、マザーケアの担当者が妻の身の廻りの世話をしてくれた。翌二日には喜楽のデイサービスでお正月を祝ってくれた。
  • 介護の担当の方々は、元旦早々働く交通機関の人々や、警察官などの公共的な仕事と並んで、欠かせない有難い役割になって来たと思
  • う。
  •  昨年安倍首相は「介護離職をゼロにする」という目標を揚げたが、これは極めて達成困難な目標ではあるまいか。在宅介護のヘルパ
  • ーは利用者に四、六時中付添う事は出来ないから、誰かが常に傍に居なければならない。そこをどうするかという難しい問題がある。
  •  今私共は、毎朝一時間のホームヘルパーによる身体介助、週三回のデイサービス、月二回一泊のショートステイなどでお世話して頂
  • く他に、訪問看護、訪問リハビリなど手厚いケアをして頂いている。しかしながらその他の多くの時間は、私が付添って食事の世話や
  • 用便の介助など身の廻りの世話をしている。掃除や洗濯や買物など日常の用務も沢山ある。これらの事も私が仕事を持たず、健康だか
  • らこそ出来る事だが常に不安をはらんでいる。
  •  介護事業所の様々なお世話を受けていると、実に行き届いたケアプランを企画して仕事を進めていると感じる。これは有能で熱心な
  • 人材あっての事である。妻がこの一年間デイサービスで充実した楽しい日々を過させて貰えたのも、良い企画、良い人材あっての事だ。
  •  今後の介護事業の要点は、第一に介護保険制度に関する行政の行届いた運用、特に介護事業者の向上、育成のための援助を行う事 、
  • 介護事業者としては優れた熱心な職員の育成に力を注ぎ、その定着を図ることが大切である。又利用者の側でも負担の見直しがあれば
  • 受入れる心構えも必要だと感じている。
  •  

「天寿というもの」                     H28.7.18  T・I

  •  つい近頃知人から「母が天寿を全うしました」という訃報が届いた。享年は70才だったそうだから、決して長寿ではないが家族が
  • 「天寿」と言うからにはご当人は幸せな生涯だったであろう。
  •  日本人の平均寿命はどんどん伸びて、今では女性は86才超えにもなったそうだ。しかし長寿というものは目出度いばかりではない。
  • 健康寿命、つまり自立して日常生活の諸々の事が自分で出来る状態であれば、長生きする事は目出度いと言えよう。しかし現代の長寿
  • は、医学の力で寿命を伸ばしている点、行き届いた介護制度のお蔭で長生き出来ている面などがあり、決して手放しで喜こべるもので
  • はない。
  •  私の身内の女三代の寿命を見ると、曾祖母は嘉永六年(ペリー来邦の年)生れで92才まで生きた。私は幼なかったから記憶は定か
  • ではないが、曾祖母はとても達者で、眼鏡などなくても針に糸が通せたと言い伝えられている。現代なら百才は優に超える長寿だった。
  • 祖母は戦争中から戦後にかけての食料不足で生活の苦しい時代に、一家の柱として働いてきたから健康を損ねて76才で早逝している。
  • その次の母は、そんな苦しい時代を逞ましく生き抜いて七人の子供を育て上げたのは立派だったと思う。身体が丈夫だったからそうい
  • う時代も生き抜いて豊かな時代に到達して百七才という長寿だった。
  •  これに比べて男三代は、曽祖父、祖父共に私の記憶にない早逝だったようで、辛うじて父が94才の長寿だったのが救いである。今
  • 私は86才。母の長寿のDNAを受継いで百才を目指している。妻が三年前に在宅介護の生活に入り、私が老々介護をしているから、
  • 私は何としても健康を維持しなければならない。そういう義務感も支えになって健康を保っている。この調子で生き抜いて長寿に達す
  • ればそれが私の天寿というものであろう。
  •  

「医療を考える」                     H28.6.16  T・I

  •  以前アメリカに行った時、シカゴのドラッグストアを覗いてみた。話に聞いていた通りビタミン類や健康食品などが各種多様に並ん
  • でいて安価だ。鎮痛、消炎といった一般の市販薬も沢山並んでいる。
  •  アメリカでは日本のように健康保険が充実していないから、病院に行けば高額な医療費を支払わねばならない。従て風邪ひきなどの
  • 軽い症状の場合は、ドラッグストアで買う薬ですます事が多いそうだ。また極力病気を予防しようという意識から、ビタミン類などを
  • 積極的に摂取するとも聞いた。
  •  日本の薬局は充実しているが、全般的に売薬は高価なように思う。従て高齢者は市販薬に頼るより、病院に行って少い医療費で済す
  • 傾向もあるだろう。こんな事も老人医療費を押し上げている一因ではあるまいか。
  •  病気を予防するという観点からみれば、皮肉にも健康保険の発達していないアメリカの方が熱心ではないだろうか。誰にでも覚えの
  • ある事だが、病院で貰う薬を使い切らず、飲み残して捨てる事がある。これに対してアメリカのように、自分がドラッグストアで買っ
  • た薬は捨てたりしないだろう。
  •  日本の健康保険制度は充実しており、後退させてはならないが、不合理な点は改めるべきである。いくつかの問題点の中で過剰診療
  • や投薬過多などを考えてみると、患者の側では価値判断が出来ない事が一番の問題ではないだろうか。医療の専門的なことは解らない
  • から、医師が全てを判断して指示している。
  •  一般の商取引では、購入物品は消費者が価値判断をして要否を決めている。これに対して医療では高額の検査も高価な医薬品もすべ
  • て医師の判断に従っている。そこには患者(消費者)の意志のはいり込む余地はない。高額であっても保険でカバーするからよい、と
  • いうものでもなかろう。も少し患者の意志が反映出来る医療にならないものだろうか。
  •  

「海外旅行回顧」                     H28.5.9  T・I

  •  五月連休の関西空港の様子がテレビで映されていた。小さな子供を連れた夫婦が、フランスのパリに行ってきた、と言うのに驚いた。
  • そんなにも気楽に行けるようになったとは。
  •  私達夫婦は二十五年前にシンガポールに行ったのが最初だった。その頃長男が駐在していて招待されたから。行ってみると街は清潔
  • でブーゲンベリアやランの花が溢れていて、ゆったりと観光出来てとてもよかった。
  •  その後暫くしてやはり長男がアメリカ勤務になって、シカゴに住むようになり、招んで呉れたので出掛けた。成田空港から十二時間
  • の快適なフライトで、シカゴのオヘア空港に着いた。息子の嫁が車で迎えに来てくれ、ハイウェイを走って郊外の立派な家に着いた。
  •  それからの一週間はシカゴ見物のあと、ナイアガラの滝を見に行き、カナダのトロントまで足を伸ばして、観光を堪能した。それか
  • らはアメリカ行が気楽になり、三回も行ってゴルフを楽しんだり、メジャーリーグの野球を観戦したりした。妻は孫の出産の手伝いに
  • 独りで行った事もあった。
  •  次の年念願のヨーロッパ旅行に行く事になり、「とっておきのヨーロッパ9日間」というドイツからスイスを経てフランスに至るツ
  • アーに参加した。見所も多く感激のしっ放しだった。その次の年は「イタリア浪漫紀行10日間」更に「情熱のスペイン、悠久のポル
  • トガル10日間」と立て続けに出掛けた。その後冬の日本から夏のニュージーランドへの旅、人気のオーストラリア、台湾と、目まぐ
  • るしい程の海外旅行をして四年前に終止符を打った。
  •  海外旅行で印象に残っている事は数え切れないが、スペインで見た地の果まで続くひまわりの花、薄紫の満開のジャカランタの花は
  • 私には特に印象深い。各地の食べ物では素朴な料理が良く、ドイツのポテト、ミラノのカツレツ、リスボンの鰯の塩焼、ナポリのイカ
  • のリング揚などは又食べたいと思う懐かしい味だった。海外旅行はいつ迄も記憶に残る。
  •  

「福祉を考える」                     H28.4.9  T・I

  •  誰しも若くて健康な間は「福祉」という言葉に関心が薄いし、どちらかと言えば冷淡ではないだろうか。やれ健康保険料を取られ過
  • ぎる。やれ介護保険料なんてどんなに使っているか。などと自分の現在の負担中心で考える傾向があるように思われる。
  •  しかし誰しもいつかは病気にもなるし、年を取って身体が不自由にもなってこよう。そうなった時初めて健康保険の有難味を知るし、
  • 介護保険の行き届いた手当を知る事になる。
  •  私自身比較的健康に恵まれてこの齢まで来たが、やはり持病はあって(前立腺肥大)病院には定期的にお世話になっている。また妻
  • が一昨年持病のパーキンソン病が進行して、入院加療の後に在宅介護となったが、息子達は独立して離れて住んでいて、夫婦二人だけ
  • の暮しだから、私の体力の続く限りこの老々介護をしなければならない。
  •  現在は毎朝ホームヘルパーを派遣してくれている”マザーケア”とデイサービス、ショートステイ、訪問看護などの手厚い介護をして
  • くれている”喜楽”など数社の介護なくしては妻の在宅介護は成り立たない。
  •  今後の日本は、”少子高齢化”という若い働き手が減少してゆくのに反して、介護を必要とする高齢者はどんどん増加する時代になる。
  • そういう時代に優秀で安定した働き手を確保することは、介護事業者のみならず国の重要な政策課題となってくると考えられる。
  •  これからは介護施設や介護事業所には質の良い職員が集まり、定着するようにあらゆる手だてを講ずる必要がある。そのためには介
  • 護という仕事を、働き甲斐があり収入も安定したものとすることが最も大切である。
  •  なお今後の増大する福祉の財源を消費税の引上げに求めることは、景気への影響などを考えて慎重に行う必要があろう。しかし将来
  • を見通せば、高福祉を求めるには高負担も必要ということが自然な流れではあるまいか。
  •  

「"若い"ということ」                     H28.3.17  T・I

  •  米寿間近の私でも時々「お若いですねえ」と言われる事がある。お世辞でも悪い気はしない。もう姿形でそう言われる事はあるまい
  • から、たぶん私のシャンとした姿勢や、きびきびした動作などからの褒め言葉であろう。
  •  つい最近気を良くした事がある。時々私は通信販売の健康食品を取寄せているが、或日九州の会社へ電話して評判のサプリメントを
  • 注文した。電話に出た娘さんに住所、氏名などを告げ、最後に「お年は?」と聞かれたのでそれを言ったら「え、嘘でしょ。失礼しま
  • した。余りお若いお声なのでご本人ではないだろうと思いましたので」と言う。これはお世辞ではあるまい。私は時々電話の相手に声
  • が若いと言われる。そう言われると満更でなく、若返った気持になるものだ。
  •  ただ気持は若くても年と共に体力が衰えてくるから、知らず知らずに姿勢が崩れて来る。前かがみでトコトコ歩きになったり、のろ
  • のろ動作になってくる。要は本人がそれを意識するかどうかで他人に与える印象は変るものだという事を知っておきたい。
  •  私の好きなサミュエル・ウルマンという人の「青春」という詩の一節に
  •    青春とは人生のある期間を言うのではなく
  •    心の在り方を言うのだ
  •    年を重ねただけで人は老いない
  •    理想を失う時に初めて老いが来る
  •  私はこれを座右の銘にしている。年を重ねただけで人は老いるのではなくて、希望、意欲、目標などを失った時に初めて老いるのだ
  • という事は、まさに我が意を得たものだ。
  •  しかし反面では「年相応」という言葉のあることも忘れてはなるまい。常日頃気分は若く保っていても、身体は知らず知らずの内に
  • 老化してゆくから、若い頃にはなかったよろめき、つまずき、息切れなどが起ることを素直に受入れて、気をつけて暮すようにしたい
  • と思う。
  •  

「私の腰痛予防策」                     H28.2.17  T・I

  •  妻を在宅介護している私にとって、何よりも大切な事は自身の健康を維持することである。私に万一の事があれば介護は出来なくな
  • る。従って何としても健康でなければならない。とは言っても私は86才だから、もう元気凛々とはゆかない齢だ。ただ私は日頃八掛
  • 年齢を自負しているから、気持は70才で居る。
  •  さてそんな私が一番注意している事は、腰痛を起さない事だ。日常の妻は歩けなくて室内でも車椅子を利用しているから、トイレの
  • 抱え上げ、下ろし、ベッドへの上げ、下ろしなど私の腰がしっかりしてなければならない。
  •  私は昔40代の頃に、事務所の重いコピー機を移動するため持ち上げようとしてギックリ腰になった事がある。その時の辛さ、不自
  • 由さに懲りて、以後の腰痛再発予防策を色々研究してみた。その頃東京都知事だった80才の鈴木という人が「私の健康法は”真向法”
  • という腰の屈伸運動を昔から続けている事です」と言っているのを知って早速調べてみた。真向法というのは腰痛予防というより一種
  • の自彊術(自分で励む健康法)だった。
  •  それは実に簡単な方法で、直ぐに自分で出来るものだった。基本に四つの動作があるが、そのうちの中段の二つの動作を続ければ効
  • 果があるとの事だった。長く続けるためには極力簡素化した方が良いと考えた。
  •  第一動作は床にあぐらをかいて、第二動作は床に腰を下ろして足を前に伸ばして、第三動作は伸ばした足を開脚して、第四動作は床
  • に正座してという姿勢で、前方に上体を前屈して腰を伸ばす運動を深呼吸しながら繰返すという簡単な運動である。私はそのうちの第
  • 二、第三動作を、寝る前に寝床の上で行なうことに決めた。
  •  以来40年余、1日も欠かさず続けている。一回僅か5分ほどの運動であるが、続ける事の効果は大きい。以来真向法の効果で腰痛
  • は一切起していない。皆さんも試みられては?
  •  

「新らしい年に思うこと」                     H28.1.15  T・I

  •  年が明けた朝、ホームヘルパーが来てくれ、午後には訪問看護が来てくれた。元旦早々に利用者のお世話をしてくれるマザーケアと
  • 喜楽の担当者のご苦労には深く感謝したい。
  •  ヘルパーの介助ですっきりした妻と二人で、居間の掘ごたつにはいって手作りのおせちでお正月を祝う。暫く賑やかなテレビ番組を
  • 見ていると、年賀状が早々に配達されたので、持ってきて妻と二人で丹念に目を通す。親しかった友人、知人も次々と鬼籍に入って、
  • 年賀状もぐんと少くなってきた。
  •  訪問看護のWAさんが帰ったあと、夕方になって息子一家が年始に訪れた。妻と二人で作った三段重ねのおせちに、雑煮、赤飯を炊
  • いた簡単なもてなしだ。高校と大学生になってすっかり大人びた孫娘達には、今年は一段と成長して欲しいと願う。普段は余り物を言
  • わない妻も会話の中に入ってきてお正月らしい団欒になった。
  •  翌二日にはもうデイサービスのお世話をしてくれる。喜楽の迎えを送り出したあと、恒例の茨木神社初詣に行く。今年は例年以上に
  • じっくりと願かけをした。
  •  新しい年に願う事の第一は、妻が自力で歩行出来るまでに恢復することだ。たまに外出して手押車を押して買物に廻ることが出来る
  • ようになれば嬉しい。今年はこれ迄以上にリハビリに力を入れるように担当の方々にもお願いしたい。
  •  昨年一年間、喜楽での諸々の介護は本当に良くやって頂いて感謝しているが、今年もより良い介護をして頂くよう期待している。
  •  そんな喜楽で昨年何人かの有能なスタッフが離れて行ったのが残念だ。これからの介護事業の重要性を考えると、何としてもプロの
  • 介護者には安心して仕事に定着して貰いたい。安倍首相の唱える「介護離職ゼロ」の実現にはまずその前が大切だ。今後の行政として
  • の手厚い援助が何よりも大切だと思う年明けだった。
  •  

「喜楽の群像(其の二)」                     H27.12.14  T・I

  •  昨年の二月阪大病院で、退院して在宅介護に移行するための関係者打合せがあった。その時喜楽からは看護師のWAさんが出席して
  • いたが、丸顔のとても親しみを感じる人だった。
  •  妻が退院して間もない頃「せん妄」という症状が出て神経が高ぶり、手がつけられない状態になった時に飛んで来てくれて、後から
  • 駆け付けてくれたケアマネのKAさんと二人で静めてくれて、心底ホッとしたことだった。豊かな経験のたまものであろう。妻のせん
  • 妄はその後発症しなくなっている。
  •  毎週の訪問看護は主にNAさんの担当だが、妻の友人に似て色白の眼鏡をかけた朗らかな人で、時々扱い難くなった時も凌いでくれ
  • る。
  •  デイサービス担当の方々の行き届いた扱いには感謝している。主任のOさんや副主任のTAさんの人柄も良く、全体をよくまとめて
  • 運営していると思う。毎回持ち帰るレポートの内容が具体的で、利用者がどのように一日を過したかが良くわかって有難い。ベテラン
  • のHさんやSAさんは体調に目を配ってくれるし、大好きなお風呂の介助をして頂くIさん他の方々の優しい扱いをとても喜んでいる。
  • また若くて熱心に企画を進めるTUさんやSAさん、明るくコロコロしているAちゃんなど、夫々の立場で良い仕事をしていると思う。
  • 今年から加わったSさんのリハビリには期待している。
  •  毎日の食事の献立が仲々多彩で、妻はいつも完食するらしい。高齢者にとっては食べる楽しみが一番だから、一層の充実を願いたい。
  •  習字や絵描きなどはとても良い企画だと思う。パーキンソン病で時々手の震える妻の習字に、乱れもなく立派に書けた一枚は、額に
  • 入れて飾った。指導して頂くNさんには感謝したい。他の行事もとても良いと喜んでいる。
  •  最後に毎日の送迎の車を担当して下さる方々にお礼を言いたい。足元のおぼつかない妻を優しく導いて頂く姿に頭が下がる。今後も
  • 利用者に愛される喜楽であるように願う。
  •  

「喜楽の群像(其の一)」                     H27.11.15  T・I

  •  在宅介護の妻が喜楽のお世話になってから一年半になる。次第に喜楽の人々の個性もわかってきたので、限られた範囲ではあるがス
  • タッフの横顔を覗いてみよう。
  •  最初の出会いは、ベテランケアマネージャーのKさんで、その豊かな経験に期待していたが、間がわるく体調を損ねて交代した。代
  • って担当することになったKAさんは、若くてルックスも良いので昔映画好きだった妻が早速「高千穂ひづるちゃん似」と一昔前の東
  • 映の時代劇女優の名前を言ったが、ご本人はキョトンとしていた。古すぎて知らないのでインターネットで調べたというのも現代らし
  • い。明るい笑顔で妻に接してくれるし、時には朝のデイサービスの車を運転する活躍振りだ。
  •  間もなくひづるちゃんの下にMOという若い人が入社してきて妻を担当した。陽やけしていて昔ベトナムで出会った少女に似て、健
  • 康的な笑顔が可愛く、熱心に介護計画をつくり親身になって進めてくれている。
  •  朝のホームヘルパーとして週一回訪れるSUさんの明るさはピカ一だ。朝一番に明るい声と共に笑顔が入ってくると、妻は引き込ま
  • れるように安心して身を委せている。他のヘルパーで、きちんと介助していても妻が好まない人もあるが、それは心のこもってない、
  • まるで人形を扱うような態度が見えるからだと思う。
  •  喜楽のデイサービスの朝の迎えがとても良い。自然なユーモアを漂よわせるTOさん始め、女性達の朗らかさが良い。或朝出迎えの
  • メンバーの中に見馴れない顔があったので「余り見掛けないが、いつから居るの」と問うと「そこそこ以前からですよ」と笑顔で言う。
  • すると後に居たSUさんが慌てて私の袖を引いて「その人うちの所長の浅野ですよ」と囁いた。私としたことがとんだ失礼をしたが、
  • 気取る事なく送迎者の運転を手伝うトップの在り方を好もしく思った。これからも皆さんにこの良さを続けて欲しいと願っている。
  •  

「思い出に残る海釣り」                     H27.10.9  T・I

  •  在宅介護になってからの妻は、テレビをめったに見なくなった。日常の時間手持無沙汰になると、お相手するのが大変だから何とか
  • 少しでもテレビを見させるよう仕向けている。
  •  前回書いたテレビの歌番組を見ながら二人で歌うことを妻もとても喜ぶので時々やっている。しかしそれだけでは時間も限られてい
  • るから次の対象をさがしていたら、良い番組を見付けた。それは魚釣り番組である。
  •  秋晴れの釣りシーズンになってあちこちの局で魚釣りの番組をやっている。昨晩も私が見ていたら、いつの間にか隣に坐る妻が身を
  • 乗り出して来て「わあ!大きなの釣れた」と喊声をあげた。妻も魚釣りが好きなのだ。
  •  私は現職の頃、全国各地を転勤で移り住んだが、行く先々で夫婦で楽しめる趣味を見付けるよう心掛けた。それにピッタリだったの
  • が鳥取県の米子で始めた夫婦の海釣りだった。
  •  日本海側の弓浜半島の入口あたりにあった部長社宅に住んだから、中海、弓ヶ浜、境港などの良い釣場も近かった。私は前の岡山勤
  • 務の時に海釣りを覚えていたから直ぐに始めた。「私も連れてって」と言う妻と一緒に毎日曜日に釣りに出掛けた。
  •  手始めは中海のハゼ釣りだった。土地の人は釣果を一束、二束と言う。百匹で一束だから桁違いに釣れる。初めての妻が一束以上釣
  • って大満足だった。ここではサヨリも釣れた。
  •  夏が来ると弓ヶ浜一帯のキスの投げ釣りが楽しめる。チョンと直ぐそこ迄しか投げない妻の竿にキスが連でかかる事もあった。やが
  • て妻の方が沢山釣るようになった。それは転々と浮気する私に対して、妻は辛抱強くじっと回遊してくる魚を待つからだし「まだ今晩
  • のおかずが足りないから」と粘るには参った。
  •  最後の転勤で大阪に戻り、尼崎魚釣公園に出掛けた事もあったが、妻の病いもあって釣りも終った。楽しかった数々の思いでを残し
  • て。
  •  

「歌って癒やす」                        H27.9.14  T・I

  •  昨年から妻の在宅介護をしているが、週三回じんないケアセンター喜楽のデイサービスのお世話になっている。毎回帰宅する時にレ
  • ポートを頂いているが、その日の本人の様子、行事やアクティビティ参加の模様などを簡潔に記入してくれてあってとても有難い。
  •  しかしデイに行かず在宅する日の一日中の妻のお相手をすることは容易ではない。昔のように買物に行ったり、家事を次々にする事
  • が出来ないから、居間に座っている事が多い。それでもテレビを見たり本を読んだりして呉れれば退屈する事もないから、私も別の事
  • をしておれば良いのだが、今の妻はそんな事に関心がないから、何らかの形でお相手をしてやらねばならない。ただ辛うじて昔から好
  • きだった編物の真似事をしてくれるのが救いだ。
  •  そんな日常の中で、近頃とても良い事が見付かった。ご参考までにその方法を書いてみる。
  •  それはテレビの歌の番組に合せて二人で歌うことである。毎週月曜日の夜、BS放送で「日本のこころの歌」と題して若いコーラス
  • グループが童謡、小学唱歌から戦後流行った歌の数々を聞かせてくれるのを知った。
  •  毎回録画しておいて、時々それを再生して妻と二人で歌う。昔の歌はお互いによく覚えていてすんなり歌える。「みかんの花咲く丘」。
  • や「赤い靴」や「リンゴの唄」などの懐かしい曲を、私は自慢の声を張り上げ、妻は小さな澄んだ声で唱和する。
  •  懐かしい昔の歌を歌う時の妻の表情は活き活きとしていて、病気をすっかり忘れさせてくれるのが嬉しい。記憶を呼び起すことと、
  • 発声する運動はきっと病気を癒やす効果がある事と思う。これからも録画を大事にして時々再生して二人で歌う事を続けようと思う。
  • そうすることで妻の難病も少しづつでも恢復してゆく事を信じながら今日も歌おう。
  •  

「老々介護の日々」                        H27.8.4  T・I

  •  思いがけなく85才の私が80才の妻の介護をする事態になった。言わば逆の老々介護である。妻にはパーキンソン病の持病があっ
  • たが、日頃の健康管理と服薬の効果もあって、喜寿を迎える頃まではとても元気で、毎年二人で海外旅行を楽しんでいた。
  •  一昨年の暮れに一転して症状が進行して入院した。三ケ月に及ぶ治療の効果も上らなかったが、私はあくまで入院治療にこだわった。
  • しかし保健所の担当者から、介護認定を受けてケアマネージャーを選び、在宅介護をする方向を強くすすめられた。それは無機質の病
  • 院生活から、住み馴れたわが家に戻り、馴れ親しんだ家の様子や好きな庭のたたずまいなどを見て過すことは精神面でとても良い、と
  • 言うのだった。
  •  昨年二月に退院を決断し、在宅介護に入る事になったが、介護を委任する事業所を、自宅から程近い「じんないケアセンター喜楽」
  • に決めた。
  •  介護認定を受けて在宅介護に入った。毎朝来宅するホームヘルパーの介助、週三回送迎してくれるデイサービス、月二回一泊で世話
  • をしてくれるショートステイなどに加えて、週一回の訪問看護、訪問リハビリなど手厚い介護を受けている。
  •  しかし生活面の炊事、洗濯、掃除などの家事一切を私が行うから仲々忙しい日々である。また妻の在宅日の日中の時間、夜間の総て
  • の時間に行なう介助は容易な事ではない・車椅子やベッドへの抱え上げ、下ろしやトイレの介助などの時、万一私が腰を痛めでもしたら、
  • と薄氷を踏む思いである。
  •  この一年半を何とか順調に過して来られた事は、何と言ってもケアセンター喜楽のお蔭である。介護を受ける度に「介護は人である」
  • とつくづく思う。いたわりの気持で笑顔を絶やさない事は大切だ。これからは妻の恢復を念じながら在宅介護に励みたい。
  •  

 

ヘルパーをご利用されている方からのお便り

  • 毎週ヘルパーを利用されているご利用者様からの嬉しいお便りです。
  • 一緒に食事を作っている際に、「献立集」を作ろう!という話しが出たようで、積極的に献立を考えたり、調理をして下さっています。
  • 今回、教えていただいた「献立」の一部をご紹介します。